趣旨

リーディングセミナーでは、近年、⼤学界隈において話題の、⾼校⽣向けに書かれた(または⾼校⽣にも考えて欲しい)、新書や⽂庫を1冊、取り上げ、参加者で読書体験を共有します。

参加者間で、重要だと思った点、疑問に感じた点、⾯⽩いと思った点などについて意⾒交換したうえで、本書の紹介⽂を作成します。これらを通して、テキスト、そしてその学問的背景についての理解を深めます。ひとりの読書もいいですが、読書体験を共有する楽しさを、ぜひ、感じ取って下さい。参加に当たり、事前にテキストを読み、簡単な課題に答えてもらいます。

⼤学の授業(特に、ゼミナール形式で開かれるもの)では、このように1冊のテキストを読み合い、議論する(輪読する)ことがあります。⼤学らしい学びをいち早く体験してみませんか。

リーディングセミナーでは、

  • テキストの構成やポイントを考えながら読む力
  • 自分が面白いと感じる感性
  • 著者の主張の妥当性を考えながら読む力
  • 他人の意見を聞き、それを尊重する力
  • 他人のよさを理解しながら、グループワークする力
    を培います

今後の開催予定

申込方法

  • KUGS高大接続プログラム「マイページ」内の「カレンダー」からお申し込みください。
  • 上記プログラムの利用者登録がまだの方はポータルサイトからご登録ください。

事前に指定の文献を読み、重要点や疑問点などを考えてきて下さい(Googleフォームに回答下さい)。

2025年春

第12回リーディングセミナー:小野寺拓也・田野大輔 『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット、2023)

  • 場所:金沢大学角間キャンパス/ZOOM
  • 日時:2025年3月16日(日)13:30-17:00
  • 申込締切:3月13日(木)23時59分
  • 事前課題:

「ナチスは良いこともした」という言説は、国内外で定期的に議論の的になり続けている。アウトバーンを建設した、失業率を低下させた、福祉政策を行った――功績とされがちな事象をとりあげ、ナチズム研究の蓄積をもとに事実性や文脈を検証。歴史修正主義が影響力を持つなか、多角的な視点で歴史を考察することの大切さを訴える(公式サイト)。

第13回リーディングセミナー:岡西政典『生物を分けると世界が分かる』(講談社ブルーバックス、2022)

  • 場所:金沢大学角間キャンパス/ZOOM
  • 日時:2025年3月31日(月)13:30-17:00
  • 申込締切:3月28日(金)23時59分
  • 事前課題:

地球上で年間1万種もの生物が絶滅しているという。その多くは、人類に認識すらされる前に姿を消していっている。つまり私たちは、まだこの地球のことをこれっぽっちも分かっていない。それどころか、「分かっていないことすらも分かっていない」のである。だが、分類学を学ぶことで、この地球の見え方は確実に変わる。奇妙な海洋生物・クモヒトデに魅せられ、分類学に取りつかれた若き分類学者が描き出す、新しい分類学の世界(公式サイト)。

過去の開催(金沢大学「ニュース」掲載ほか)

これまでの紹介文

以下の紹介文は受講生が合作したものです

岡西政典『生物を分けると世界が分かる』(講談社ブルーバックス、2022年)

グループ1

あなたはどのように世界を見ているだろうか。分類学を学ぶと世界の見方が変わる。生物学の一種である分類学は、多様な生物を一つの偏った視点ではなく様々な視点をもって分類することで、多くの未知の自然現象を把握し、未来の生物学にも大きな影響を与え得る学問である。

本書は著者の岡西が分類学の基本概念や、歴史、研究手法を紹介しながら、なぜ生物を分類するのか、その意義を説く本だ。また、本書は最新の研究のDNA解析についても述べており、DNA解析によって新たな分類学の見方も生まれたことを教えてくれる。

分ける作業について著者は次のように述べている。「分類学の営みは、私たちに生物の認識という普段は意識しない、しかし重要な恩恵を連綿と与え続けている」。つまり、分類学を通じて普段は意識しない事柄にも着目できる機会を見出だせるということだ。それによって、物事のありがたみを感じることもできる。普段は意識しない生物の多様性を大切にし、それぞれの種の特徴や役割を意識的に理解することは生態系を保つうえでも重要となる。自然と人類の共存を可能にするためにも分類学は大切な学問だ。

分類学はあまり親しみのない学問であるかもしれないが、私たちの日常生活においても視野を広げてくれる可能性があるだろう。様々な視点を持つことでより多くの価値観に触れることができ、現代社会における問題を解決する手助けとなる。

グループ2

生物に関する本は専門的で難しいだろうと思い、読むことに関してハードルを感じてしまう人がいるかもしれない。しかし、あまり生物に興味がない人でも読みやすく、単に生物のことだけでなく日常生活にも活きることも書いてあるため、生物に興味がある人もない人も気軽に読んでほしい。

地球上で人知れず絶滅している生物が多くいるにもかかわらず、人類は地球のことを分かりきったと思っている。本書ではそんな人類の地球に対しての見方を、分類学を通して確実に変えようとしている。

私たちは日常生活の中で「分ける」という行為をよくしているが、この「分ける」という行為は人類の本能的な活動である。それは古代アリストテレスの時代から何人もの偉人たちによって行われてきた「自然物を分ける」ということにみられる。過去の偉人も現代人と同じように生物を知ろうとしてきたのである。これこそが分類学の始まりであり、近年もDNA解析などの科学技術を用いて「様々な概念を考慮し種に名前をつける」という分類学が行われている。そしてこの分類学が間違いなく世界を理解する助けとなっていることが、本書では様々な例示を通して繰り返し語られている。

本書の読みどころは、分類学がどのように私たちの視点を広げてくれるのかを説得的に説明している点だろう。著者は、この点を「世界の解像度を高めてくれている」と言い換えている。「解像度を高める」ことは私たちの自然への共感と深くかかわる。その共感によって生物を知覚できる範囲が広がるだけでなく、著者のもっとも根源的な主張である地球をわかることにつながるからだ。これらを通して読者に、分類学が私たちの視野を広げるということがよく伝えられているだろう。したがって、この部分をよく味わってほしいと思う。

小野寺拓也・田野大輔 『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット、2023年)

グループ1

『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、歴史を学ぶことが好きな人はもちろんですが、限られた少ない情報だけを取り込みがちな人にも、ぜひ読んでほしい作品です。多くの人はナチスに悪い印象をもっていると思います。ですが、近年、ナチスの成果のなかには「良いこと」もあるという主張が一部で広がっていることを、あなたは知っていますか?本書はそのような近年の主張の妥当性を問いに置き換えて、検証するものです。

たとえば、アウトバーン建設や経済回復、科学技術の発展など、ナチスが成し遂げたとされる「功績」は、一部の界隈ではしばしば肯定的に語られています。しかし、本書によれば、これらは戦争の準備や人種差別政策と密接に結びついており、ユダヤ人や障がい者など特定の人々の犠牲のうえに成り遂げられた「功績」に過ぎません。また、その「先見性」ゆえに一部で高く評価される福祉政策も優生思想に支えられた政策に過ぎず、障がい者や少数民族の排除につながったことを忘れるべきではないでしょう。

本書は、このような例示をもとに、ナチスの一部の面だけを評価することの危険性を指摘し、歴史の全体像を正しく理解することの重要性を訴えています。筆者たちは、ナチスの政策を部分的に肯定することは、差別や抑圧を正当化することにつながる可能性があるため、歴史を学ぶ際には背景や意図を深く考える必要があるとも主張しています。「歴史学において一見よく見える事実でもそれがどのようなものであるかは解釈の段階を踏まないと分からないものである」という一節は、このような彼らの歴史観を端的に示すものです。

歴史の授業でナチスを習ったことがあるという高校生には、難しい箇所もあるかもしれません。そのような方も含め、この本を手に取る方には、「はじめに」を読んだ後に、本文より先に、「おわりに」を読むことをおすすめします。「おわりに」には著者たちの問題意識がはっきりと示されていることから、彼らが本書で何を伝えたいのかがより分かり、本文がより読みやすく、難しいと思える箇所も理解しやすくなるからです。本書を読みながら「限られた情報」で「真実」を分かった気になることの危険性や問題点について考えてみませんか。

グループ2

あなたはナチスが良いことをしたと思えるだろうか。

本書は、ナチスが行った政策に着目し、「ナチスは良いことをしたのか」という問いを歴史的事実に基づいて検証する著作である。近年、X (旧Twitter)などで、ナチスの経済政策の成果を強調する動きがあるが、本書の分析によれば、その経済政策は戦争への準備、独裁体制の確立と密接な関係にあった。本書は、このような分析を通して浮びあがった、良い面、悪い面を冷静に見つめて、その歴史から何を学ぶかを問うものである。

本書のスタイルは、まず、一部の論者がおこなっている、ナチスの政策を肯定的に評価する意見を紹介したうえで、歴史的事実にもとづいて、ナチスの暴力性や人権侵害などの実態を次々に暴いていく、というものである。このような前半(著者は<意見>という)と後半(著者は<解釈>と呼ぶ)のギャップを感じられる部分がとても痛快だ。

本書はナチスの事例を通して物事を多角的にとらえる重要性を説く。「斬新」な主張に魅力を感じる人は「斬新」という一面的な評価だけで、その中味を問わない。著者たちは、ナチスだけでなく、そのような「「中二病」的な反抗」自体に批判の目を向けるのである。断片的なく事実>からく意見>へと飛躍するのではなく、本質を見誤らないように、過去の研究から謙虚に学ぶ姿勢を大切にしたい。

和泉悠『悪口ってなんだろう』(ちくまプリマー新書、2023年)

グループ1

本書は、大きく分けて、「悪口はどうして悪いのか」「どこからどこまでが悪口なのか」「悪口はどうして面白いのか」という、3つの問いに関して議論を進めている。まず、悪口とは人と人とに優先をつける行為であり、平等さを否定してしまう。しかしその特徴を生かすと自己防衛にもつながる。悪口とどう生きていくかは君次第ということだ。

この本を読む前は私たち高校生は、悪口は発している人間の僻みやストレス発散のようなものから生まれるのかと考えていた。しかし、本書を読むことで悪口には悪いというだけでなく自分を守る手段になったり、社会的な地位が上である者の権力を抑制できる力があるという新しい視点を見つけることができた。また、そもそも悪口を論理的に捉え、議論すること自体が悪口に価値を見出すことにつながり、危険なのではといった意見も見受けられた。

本書において、様々な側面を持つ悪口のことを筆者は、「人間の性」であり「一生付き合い続けなければならない隣人とも表現している。使い道を間違えれば、現状を崩壊しかねないこの危険な隣人とほどはとの距離を保つことが著者の語る「人間に上も下もない」という大切な真実に気付くための大きな鍵となるだろう。

この本には、悪口との上手な付き合い方を見つけてほしい、という著者の意図が記されている。だからこそ、言ったつもりはないのに、悪口を言ったと責められて不安になったり、自分が言ったことで相手を悲しませたかもしれないと悩んだりしている人にぜひ読んでもらいたい。

「うざい」や「きもい」などの所謂汚い言葉だけが悪口だろうか。悪口を言い、言われる以上、悪口というものの正確な理解を得て、悪口と上手くつき合っていく必要がある。客観的かつ学問的な立ち位置から議論されている本書はその助けになるだろう。

グループ2

悪口が悪いのは、悪口自体に比較が伴っていることを利用して、一方が他方に劣っているとレッテル貼りをするからだ。しかし、悪口は人に益を与える場合もある。例えば、ある狩猟採集民族のあいだでは、悪口がその人を謙虚にするために用いられている。このように悪口は誰かのランクを下にして支配するのではなく上位の権力者に抵抗するために使うべきだ。

著者は、悪気はなくとも発した言葉や文脈によっては誰もが「悪口を言われた」と、加害者となることもあると述べる。イーブンな関係性を保つことを意識し、発する言葉に責任をもつべきである。また、悪口を言う人に対し「ダメ」を言える第三者が指摘するべきである。そして、悪口そのものを否定するのではなく、優劣をつけるという人の意識・性を変化させたり否定していったりする。また、権力者という存在は、悪口を抑制すると共に支配することもあるため、我々はその権力者に抵抗するために悪口を使うべきなのである。

この本を読んで悪口は武器になることを知った。筆者は悪口は権力者に立ち向かう武器になったり、関係をイーブンにしたりできると 述べている。私たちは、関係を平等にする点に関しては筆者に賛同しつつ、悪口は人の反感を買う道具にもなりうるという著者の主張にいっそう気をつけたいと考えた。

Jose. 川島良彰ら『コーヒーで読み解くSDGs』(ポプラ新書、2023年)

SDGSを身近に感じる人はあまり多くないだろう。どこか遠い国の違う地域で起きている関わりのない問題だから無関心な人もいると思う。実際に私たち〔リーディングセミナー参加者〕も自分には関係のないことだと考えていた。しかし、この『コーヒーで読み解くSDGS』を読み終えた後は、そのように思う人はいなくなるはずだ。

この本は、コーヒーの生産過程から消費者に商品がいきとどくまでをSDGSとひもづけて、世界全1本で起きている問題を考えている。この本は、コーヒー豆を買うこがSDGsに見合った活動であることを教えてくれる。すなわち、コーヒー農家が置かれた状況を理解してコーヒーを飲むという行為が、いかに地球環境を守り、生産農家を助けるかを教えてくれるのである。あるいは、経済が発展してもなぜ貧困がなくならないのかを考える材料を提供してくれる。

本書の要点は3つにまとめられる。1) コーヒーを持続可能なものにするために生産地の状況を把握し、知ること、2) 消費者は、価格よりも味や品質にこだわり、そのようなコーヒー豆を提供してくれる店を選ぶこと、そして、3) 環境破壊による気候変動によって、コーヒー生産地の移動・縮小が予測されること。以下ではそれぞれについて簡単に紹介したい。

1つ目の生産地の状況を把握し、知ることについて。多くの地域では、貧困、戦争により、男女の割合に差がある。そのため、コーヒーの収穫、管理は、女生労働者の割合が高い。また、女性は、家庭の仕事を多く行っているので、子どもや若年層の人たちが農業作業を手伝ってくれるかもしれない。これをきっかけに、後継者を育成できる。よってSDGs 5.「ジュンダー平等を実現しよう」と、SDGs 8. 「働きがいも経済成長」について考えることができる。

2つ目の消費は価格よりも味や品質にこだわることについて。コーヒーの値段が安定しないために、貧困で困っている地域のコーヒーの生産はとても難しい。コーヒー価格を安定させることが何より大事だ。したがって、私たち日本人にできることは、値段だけを見てコーヒーを買うのではなく、味や品質を重視したコーヒーを選ぶことが大切である。そうすることで、生産者の「良いコーヒーを作る」という意識が高まり、お互いにwin-winな関係を築くことができる。これによって、SDGS 1. 「貧困をなくそう」とSDGs 10.「人や国の不平等をなくそう」、そしてSDGs. 12「つくる責任つかう責任」を考えることができる。

3つ目の気候変動による生産地の移動・縮小について。様々な地域で気候変動が問題になっている。農業のための森林材採、生物が住む環境破壊などがある。解法策としては、生産地域を変えることが考えらえる。しかし、移動した場所で同じような気候変動が起こると、また移動しなければならない。こういった悪循環が起こってしまう可能性がある。そこで、その地域の特色にあったコーヒー豆の生産する品質改良やコーヒーの生産の仕方を考える必要がある。このことは、SDGS 13.「気候変動に具体的な対策を」と深くかかわっている。

以上、述べて来たように、本書を通してコーヒーについて学ぶことが、SDGsについて深く考えることにつながる。コーヒーが好きな人もそうでない人も、本書を契機にコーヒー農家やSDGsについて考えてみて欲しい。

川嶋みどり『看護の力』(岩波新書、2012年)

皆さんは看護師と聞いて、医師のアシスタントというイメージをもったことはないだろうか。川嶋みどり著『看護の力』は、看護および広く医療業界を目指す学生はもちろん、医療を受ける可能性のある人であれば、誰が読んでも、看護師という仕事の真髄を正しく理解する助けとなる良書である。

著者は実際の患者の例を挙げながら、看護のもつ本当の力について説く。看護師の仕事は、診療の補助に限らず、患者の自然治癒力を引き出すことにある。そのために看護師は、手で触れあい、よく観察して、患者が人間らしい生活をすることを整える必要がある、という。そのような看護を阻害するものは何か。著者は、看護現場の慢性的な人手不足を問題視する。人間本来の自然に治る力に看護師が働きかけるためには、人間らしいケアの可能な医療現場を目指して、看護師が働く条件を整える努力が必要だ。したがって著者は、機械や市場原理に振り回され気味な現在の医療システムに異を唱える。

本書が説得力をもつのは、最先端の医学よりも目の前の患者にかかわる豊富なエピソード、事例が紹介されているからだ。たとえば、医師に脳が死んでいて、意識は戻らないと宣告された患者の例が挙げられている。このような患者に対して、ある看護師は毎日欠かさずケアをしたという。彼女のケアによって45日後に意識が回復し、社会に復帰できた。著者はこのエピソードから「医師の宣告に左右されて早々と諦めるのではなく、最後までその人の命の可能性を信じてケアをすること」が大切であるという教訓を語る。脊髄の悪性腫瘍がある少女の垢を取り続けた看護の例も感動的だ。このような看護の目的は患者を清潔に保つということだけではない。呼吸をする、ご飯を食べる、排泄する、動く、止まるなど、私たちが当たり前にしていることこそが、私たちの命を守っていることを思い出させてくれる。読者は、このような記述から、看護師が患者に親身に寄り添うことで助かる命、生きる希望があること知るだろう。

本書を読んで教えられ、また考えたことは、看護は看護師だけの特権でなく、私たちの普段の会話、動作なども看護である、ということだ。看護師に限らず私たちも、著者のいう「治る医療」を日常生活でも行えるのだ。とはいえ、このような「治る医療」を実践するには、川嶋のような看護経験豊富な者の声に耳を傾ける必要がある。だからこそ、看護師という職業が、決して医師の従属部ではなく、患者に寄り添う誇りある、独立した仕事であることを本書は実感させてくれるのである。

中川毅『人類と気候の10万年史』(‎講談社ブルーバックス、2017年)

近年、地球では大規模な気候変動が起きている。そのため私たちは、地球の歴史をもとに気候変動の傾向を掴み、今後の環境を守るために行動をする必要がある。地質学者・中川毅による『人類と気候の10万年史』は、この点について考える格好のヒントになる。

この本には専門用語も交じっているため、内容を理解することは難しいかもしれない。だが、温暖化は全世界の人々に関わることなのだから、全世界の人びとに、自分たちの住む地球に対して新しい見方をもつために、是非一度、本書を読んで欲しい。また、本書には、地理で習うケッペンの気候区分、地学基礎で出てきた先カンブリア時代の地球の姿や地軸の傾きにより季節が生まれること、生物基礎で習う針葉樹林、照葉樹林など日本の森林分布など学校の授業と関連する部分もある。このため、これらの授業を受けている高校生なら、わりと読みやすいだろう。加えて、このような授業を履修していない者であっても、未来の地球を守る高校生は、地球がどのような過去をたどり、どのような未来を描いていくのかを知るために、本書を読む必要があるだろう。

著者によると、福井県にある水月湖には7万年分もの年縞がきれいに溜まっている。これは世界的に見ても珍しく貴重であると同時に、地球の過去を知る上で重要な役割を担っている。その年縞に付着していた花粉をもとに過去を見てみると、水月湖周辺は今の西日本を中心に広がる照葉樹が林立したり、北海道やロシアなどを中心に広がる針葉樹が林立したりと大きく気候変動していたことがわかる。

筆者は、人は、一般に、提示された学説が「『本当らしく』見える」という。私たちは提示される説を鵜呑みにするのではなく、自分なりの意見をもち、どのような対策が妥当かを考えなければならない。たとえば農業には意外な一面があることを知っているだろうか。農業はとても環境に優しい産業だと一般に思われている。しかし、実際には自然に抗った非常に不安定なものだった。農業には植物としての多様性が欠けていて、多少の気温のズレですぐにだめになってしまう。そのため、気候のズレで受ける影響の少ない狩猟採集にも手を打つ必要が出てくるかもしれない。本書にはこの他にも、今までの知識や常識とは全く違う新たな視点で書かれた箇所が多くある。きっと多くの読者にとっても驚きがあるに違いない。

本書の読者は、ここ数年よくニュースで取り上げられ、問題となっている地球温暖化について、10万年という長い期間で見ることで、今までとは違う印象をもつはずだ。ニュースなどでは100年単位などのグラフを使って、今の異常な温暖化ぶりを浮き彫りにしているが、この本では地球の今までの気候変動の歴史から今がどういう時代か、本来はどうであるべきなのかをグラフとともに読み解くことができて面白い。

筆者は近年の温暖化という不測の事態を地球の歴史をもとに傾向を掴み、知恵を働かせ、これからの地球のためにどのような行動が必要か考えるべきだと主張している。私たち高校生は、これからの社会を様々な方向から支えることを求められる世代だからこそ、気候変動について新たな見方をもち、温暖化だけでなく色々な地球問題について考え直すべきだろう。

伊藤亜聖『デジタル化する新興国』(中公新書、2020年)

『デジタル化する新興国』(経済学者・伊藤亜聖)は、何気なくスマートフォンを使っている高校生にこそ読んでほしい一冊である。通常、デジタル化が論じられる際、その対象は先進国だが、著者が目をつけるのは、忘れられがちな新興国である。著者は、様々なデータや資料に基づいて、デジタル化によってもたらされる可能性、脆弱性のどちらにおいても、実は、先進国よりも新興国の方がより大きいことを示す。またデジタル化は、人工知能(AI)技術や通信システムなど、好意的に紹介されることが多い。そのため、デジタル化によって生活が便利になるような印象をもつ人が多いだろう。しかし著者はその危険性を論じることを忘れていない。

新興国は、いま、工業化とデジタル化という二つのフェーズにある。前者のフェーズにおいては、新興国は先進国で開発された技術を用いて加工し、それを輸出するだけである。だが後者のフェーズでは、広大な現地市場という利点を背景に、新興国自身が活躍の担い手となることで、新興国こそ、新たなデジタル技術を用いたサービスの苗床になっているのである。

本書の後半部分まで、日本について書かれていないことに驚いた。本書で紹介される新興国の斬新なアイデアを読むと、日本はデジタル社会に乗り遅れているのではないかと心配になる。日本は先進国であると思っている人には衝撃的な内容だろう。現在の国際情勢はめまぐるしく移り変わっているが、特に、デジタル分野においては「先進国」と「それ以外」で分けられるほど単純なものではない。徐々に力をつけるデジタル新興国に、日本はどれだけ協調し、学びを得られるのだろうか。考えていくのは他の誰でもない私たちだ。日本は先進工業国と課題先進国という二つの立場から、新興国と途上国の架け橋となるべきだろう。

塚崎朝子『世界を救った日本の薬』(講談社ブルーバックス、2018年)

本書は題名の通り日本発の画期的な新薬がどのように生まれたのかその舞台裏を紹介する一冊である。医学や薬学に興味をもっている人はもちろん部活動や趣味に打ち込んでいる人にも手に取って欲しい。というのは後にも触れる通り強い意志を伴う努力が実を結ぶことを本書は教えてくれるからである。

本書のメッセージはイベルメクチンを発明した大村智氏の言葉「幸運は強い意志を好む」という一文に集約されている。創薬は確率の世界だが決して偶然の産物ではない。意志努力発想力工夫が幸運を味方につけるのである。たとえば本書には癌の画期的な治療薬を開発した本庶佑氏という医師が登場する。これまで癌を薬で治療するのは困難であったが本庶の諦めない心と研究心が幸運を呼び新たな薬に最適な分子の発見に繋がった。このように強い意志は時に運をも味方につけ世界を変える発見や発明を可能にすることを読者に示しているのである。また大村氏は通勤時の日課としてスプーン一杯の土を採取することを続けたが有望な新規物質はほとんど見つからなかった。だが彼はそこで諦めない。彼はついにゴルフ場から採取した土にイベルメクチンにつながる放線菌を発見したのだった。このように強い意志があってはじめて幸運を味方につけることができる。

これらの事例は創薬のみに当てはまるわけではないだろう。部活動や趣味においても好奇心を大切にして、好きなものを突き詰めていくことで奇跡のような成功が得られることを本書から学んで欲しい。

山口慎太郎『「家族の幸せ」の経済学』(光文社新書、2019年)

あなたは帝王切開なんてだめ、赤ちゃんには母乳が一番、子どもが三才になるまではお母さんが尽きっきりで子育てをしないとダメ、などといった偏見やうわさ話を耳にしたことがあるだろうか。

本書は、こういった事柄をデータや研究を通して、科学的に説明している。また、筆者は人間の行動を理解し、幸せにつなげるための枠組みである経済学を通して、事案について考え、家族の幸せというものの真実をとらえようとしている。本書は、家族の成立から子育てまで各分野について章立てされ、データや科学的根拠を基に「幸せとは何か」を問うている。

客観的な視点から著されているため、現時点で自分の家庭を持っていない高校生が、本書を読み進めながら、理想の家庭像を考えられるところが良い。また、子育ての経験がない高校生であってもデータから納得できる点が多い点も、本書のよい点である。もちろん、結婚していて子供がいない夫婦や結婚する予定のある人たちにとっても、本書は良書である。というのは、子育ての方針や家族のあり方を、決めておくことで子供が産まれた後などで意見の違いから二人の関係が悪くなるのが減ると思われるからだ。

物事と向き合う時は「事実」と「神話」を見分けることが大事だということを、本書は伝えている。データ分析などの結果には大きな説得力があるのだ。データ分析にはこのような利点があるが、近年、日本の研究のデータ不足と質の低下のため、適切な統計調査が難しくなっていると著者は言う。「調査を依頼されるようなことがあれば、ぜひ、協力して欲しい」という著者のメッセージに応えていきたい。

大栗博司『探究する精神:職業としての基礎科学』(幻冬舎新書、2021年)

本書は、物理学(素粒子論)を研究する世界レベルの研究者である大栗博司の手による自伝的著作である。自分は文系人間、理系人間と、自分で枠をはめてはいないだろうか。この本は、文理の垣根を疑い、それを超えようとする高校生や、自分の専門分野以外にも目を向け、自分の知見を増やすことで、いずれ社会に貢献したいと思っている高校生にとって、良きガイドブックになるだろう。

本書は、自分の好奇心や探究心にしたがって、好きなものを突き詰め、自由に研究していると、いずれ社会の役に立つ研究となることを教えてくれる。著者は研究に対して真剣でありながらも、とても楽しそうである。未知の研究を真剣に楽しむことで、幅広いものに応用できる価値ある研究につながる。価値ある発見や新しい視点は、一見、関係のないことの融合によって生まれることを、著者は自らの経験を通して、読者に説得的に語りかける。

本書の読みどころは、著者の強い好奇心と探究心を感じられるところだ。本書の第一部では、著者が影響を受けた本や考え方が書かれている。著者の専門は物理学なのだが、読んだ本は物理学や化学にとどまらず、数学や哲学、文学作品なども多い。一見、科学とは無関係に見えるこれらが、後半の第二部、第三部で著者の研究人生を振り返った時、意外なところで役に立っている。また、著者が物理学を志すことになったきっかけであり、研究人生を支えてきたのも、小学生の頃からの好奇心だ。まさに題名の通り、著者の人生は探究する精神によって作られてきた。

本書が教えてくれることは、興味を持ったことを突き詰める楽しさと幅広い知識の大切さだ。強い好奇心と探究心があってこそ、学問も知識も極められるのだ。進路選択の岐路に立つ高校生のうちに、ぜひ、本書を読み、好奇心と探究心の凄さや素晴らしさ、そして大切さを体験してほしい。

梨木香歩『ほんとうのリーダーのみつけかた 増補版』(岩波現代文庫、2022年)

周りに流され、自分が本当に思っていることにフタをした経験を、誰もがもっているだろう。また、同調圧力により、自分の良心とは違う意見を認めてしまったこともあるかもしれない。本書は、そのような経験をもつ、あるいはそのようなことを考えたことがある若者への、著者(梨木香歩)からのメッセージである。

「ほんとうのリーダー」はどこにいるのだろうか?タイトルを手がかりに読み進めると、意外にも著者は、本当のリーダーは、他の誰でもなく自分自身であると説く。自分の中のリーダーを見つけ、育て上げ、「自分で構成された群れ」を形成することが、自らの個性を大事にしていることに繋がる。そのためには同調圧力に促されない、即ち周りに流されずに自分自身で考えることをやめないこと、自分を客観視すること、感じた疑問や怒りを素直に認めて周りに発信することが、自分を強くする上で大切なのだと著者は言う。

人々はいつも「群れ」を形成したがる。著者は、その例示に「テレビの実験」を挙げ、人々が、絶対的にみんなと自分の意見が違っても、同調圧力、つまり周りに流され、自分の意見を殺してしまう、弱い存在であることを認める。その上で本書は、このような傾向にあらがう術として、先に触れたように「ほんとうのリーダーは自分の中にいる」ことを教えるのである。著者は、歴史的な事例や哲学者の言葉だけでなく、テニススポーツの事例などのわかりやすい例も挙げている。そのため、本書はとても読みやすく、考えるために立ち止まり、自分自身の経験を振り返りながら、読み返すことのできる一冊になっている。

本書で繰り返し説かれる、同調圧力や「群れの一員としての幸せ」といった問題は、現代の政治問題に通じるのみならず、私たち高校生にとっても身近なSNSにも当てはまるだろう。また、本書は、日本人に今まさに求められている力が的確に示されている。今の日本社会にある同調圧力という現象は、個人の意見を蔑ろにするものだ。だから、私たちは自分の疑問を受け止め、発信していく必要がある。例えば、選挙で投票するときには周りの意見を鵜呑みにせず、本書を手がかりとしながら、自分の判断で選ぶようにしたい。また自分の意見を発信しつつも、それが正しいと決めつけずに、他者との考えの違いも理解することも大切だろう。本書から得られる教訓は、人生のターニングポイントにある高校生にとって、とても大きいものだ。

本田由紀『「日本」ってどんな国?:国際比較データで社会が見えてくる』(ちくまプリマー新書、2021年)

世界情勢が大きく変動しつつある今、日本を各国と比較することで物事の本質を掴み理解することが求められている。本書は、データと考えをもとに各国と比較して日本の実態を炙り出し、日本の⺠主主義の問題に目を背けず、どのようにしたらそれらが解決できるのかを問いかける。また、本書は、家族やジェンダー、社会運動などのテーマ別に問題を取り上げ、グラフと共に解説がなされているため、興味がある分野ごとに読み易い構造になっており、現代社会に問題意識を持つ若者に是非オススメしたい。

例えば、第4章において、筆者は、若者の友達は学校内など限られた空間で通用する、後に関係が失われてしまうことの多いものだと述べている。しかしその後の文中で、「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」の結果から、悩み事や心配事の相談相手として友達を挙げる割合が多く、一方で、家族を挙げる割合が少ないため、友達の存在感が強くなっているとも述べている。家族よりも友達に相談する方が多い理由は、友達は将来までつながっている可能性が低いから、逆に相談しやすいのかもしれない。

また著者は、他国と比べてみたとき、日本の授業の特徴を「演劇」と表現しているが、これは納得できる。確かに、日本の生徒たちは授業を聞くことに徹しており、発言を自由に伸び伸びと行わない。また、教師に対し答えを発言することはあっても、それはクラス全体の自由なディスカッションではない。このような授業風景から、初めから教師と生徒の間で取り決められた格式ばった台本通りに授業が進んでいるように思われるからだ。これでは、学力を養うことはできても、人間力、生きる力を養うことはできない。なんでもできる大人にとって都合のいいすごい人になることを強要するのは勝手だということを反省するべき、と著者は言う。

これから高校生が踏み出していく社会は、予めイメージが植え付けられたものが多いはずだ。だからこそ、まだその事実もイメージも、あるべき姿もわからないであろう若者が、新たな視点を持って社会と関わっていくべきだろう。グローバル化が十分に進み、海外に移住することも不可能では無い現在、日本が変わらなければ、より良い環境が整った海外諸国に出ていってしまう若者が増える可能性がある。それを防がなければ日本はさらに没落していくはずだ。その可能性を少しでも下げるために、今こそ、日本の若者は、個人としての意見をもち、著者が期待するように、SNSなどのツールを用いて発信し、社会を変えていく力が自分たちにあることに気付くべきだろう。